パンダと暮らす

古めのくるまと暮らすことの悩みとよろこび

くるま その名はパンダ

私は物心ついたときから、くるまが好きでした。

 

別に、父親がすごく車に凝っていたとか、近所にガレージでくるまいじりしているお兄さんがいた訳ではないけれど。

 

車で渋滞にはまるたび、周りの車をみて暇つぶししていました。

車の一部分の、形とか塗装をみて「あ、きっとあのくるまだな」って予想をして、走り去る後姿で車名をみて答え合わせをする。そういう一人遊び的な暇つぶしでした。(動体視力も鍛えられたかもしれない。)

 

工学系の大学に進み、一瞬車作りの勉強をしたけれど、あえなく挫折。

ほかのどんな分野より絵がかけなくちゃいけなかったけど、かけなかったし、その努力ができませんでした。

それでいて、課題で考えるものはたいてい20~30年前風の古臭い車でした。

挫折を経て思ったことは、私ははいち消費者で満足なんだということ。

わざわざ私が車を作らなくても、世の中には魅力的な車がたくさんあって、そういう車に乗ったり眺めたりできれば私は満足、ということです。

授業の調べ物を機に、ますます古い車ばかりに目がいくようになり、こんな車をつくりたい!という気持ちより、あと十数年もしたら乗れる状態で残っている車はぐっと減ってしまうのでは?と、よくわからない焦りは感じるようになりました。

 

そんな頃から約10年。

パンダという車を相棒にして暮らしています。

古いといってもクラシックカーではなく、90年代中ごろの車。

外車といってもイタリアの大衆車。

そして、カクカクしたコトコト走る車。

フィアットというイタリアの自動車メーカーが経営難に陥ったとき、ジウジアーロというデザイナーが一生懸命考えました。

コスト削減が徹底された作りで質素だけれど、その質素さまでも愛らしいという車です。

愛らしいというのは完全に私の主観であって、この車をみた人々の反応は様々。

「無骨」

「男っぽい」

「かわいい」

「南国っぽい」 

「ちゃっちい」

「渋い」

「おもちゃみたい」etc...

 

相棒にして今年で6年目。

こちらに越してきてから相棒の感が、ぐっと強まりました。

というより、まさに「相棒」と呼ばれるだけの働きを見せてくれました。

新しい土地で知り合いがいなかった当初、人と話す機会が減りました。

しかし、パンダに乗って出かけるとスーパーの駐車場や道端、信号待ちの隣レーンから変な車だ、ということで話しかけてくれる人がたくさんいました。

人と話すのがちょっとうれしくて、パンダのことで話しかけてくれるのがまた嬉しくてもじもじにやにや応えていました。

ちなみに、ほとんどが50代以降くらいのおじさんでした。

その後知り合いになった人も、パンダに乗っている人、と覚えてくれる人がたくさんいます。

 

パンダを買うときにはじめて知ったことがあります。

父親が初めて買った車は、なんとパンダと同じジウジアーロデザインの車ということ!

いすゞジェミニ

今思えば、パンダを買うとき「イタリア車なんて壊れるんじゃないか?」とか言ってる割には、前向きだったように思います。

DNAってすごいです。