量らない、振るわない。おかし作り
今の生活は、サラリーマン時代に比べると時間の自由が利きます。
通勤は30分かからないし、残業もほぼないし、飲み会も少ない。
でも、あんまり贅沢できないので料理は毎日するようになりました。
そして、あれこれ自分で作るうち、お菓子も作ってみよう。という衝動が起こるようになりました。
台所が小さいので、なるべくコンパクトに。片付けもすぐに終わるのがいい。道具がそろっていないので、重さは量らないし(量れないし)、粉をふるったりもしない(できない)。足りないものは、極力買わずに乗り越えたい。
「いかに楽に簡単に作れるか。」
気づけばそんなテーマができていました。
作るときの流れは大体こんな感じです。
- 元にするレシピを決める(なるべくシンプルで材料の少なめなレシピを選ぶことが多いです)
- 手に入らない(か高そうな)材料があれば代用品を考える
- 重さ表記を計量スプーンや計量カップの量に置き換える
- 作る
- 試食して評価
- うまくいかなかったところや、自宅のオーブンで実際にかかった焼き時間などをメモ
- その繰り返し
はじめから味も見た目も完璧にできることなんかなくて、すぐに次を試したくなり、いつも短期間に何べんも作ってしまいます。(日に2回とか)もはや実験みたい。
「お菓子作りはきっちり計量が命」的なことを聞きますが、計量カップ&スプーンスタイルでも結構いろいろ作れます。
ちなみに、今凝っているのはごまクッキー。
なかしましほさんのレシピを参考に、せっせと作っています。
このレシピはとってもシンプルでいて簡単。
コスト面はもちろん、パクパク食べても罪悪感の少ない感じもよいです。
材料は、薄力粉、油、水、ゴマ、塩、砂糖。
道具は、ボール、計量カップ、計量スプーン、包丁、クッキングシート、麺棒代わりのラップの芯。あと、粒のままのごまを使っているのですり鉢。
レシピ全体をとおして「力をぬくこと」がポイントになっているのも魅力と思います。
ざっくりの手順
- 粉物すべてを、猫の手でぐるぐるやさしく混ぜる。力は要らない。
- 油をたらして、いき渡らせる。やっぱり力は要らない。むしろ力を入れるとダマダマが大きくなってしまう。
- 水を加えて混ぜる。こねてはいけない。まとまるに任せる。
- 生地を延ばすときも、力は入れない。半分惰性で手早く延ばす。
- 長めにじっくり焼く。
粉物を混ぜる作業を、なかしまさんは「受け入れ態勢を作る」といった表現をしていました。それをすることで、その後の油や水がすーっと入っていく。
油がいき渡っていないと水もいき渡りにくいし、油がいき渡ってないと生焼けになりやすいようです。それぞれ役割と意味があるんですね。
粉の力が抜けるとか、油がいきわたるとか、実際に何度が作ってみると、素人の私にもちゃんとわかってきます。だからまた確かめたくなってしまうのかも。
参考にさせてもらった「ほぼ日」に紹介されているレシピ。
上に書いた受け入れ態勢云々の話も、なかしまさんご本人の言葉でわかりやすく書かれています。
ほぼ日刊イトイ新聞 - とてもくわしいおやつのレシピ 先生は、なかしましほさん。
おかし作りでたまにやらかすときもありますが、それは焦っているときが多いです。
時間に余裕がなかったり、何かミスをしてちょっと動揺してしまったときなど。
ふつうのごはんも同じですね..
そういう場面でも程よく力を抜いて、集中力を保つ。
そうすると、大抵ミスも挽回できたりします。
マインドトレーニングとしても、たまのおかし作り、いいんじゃないかと思うのです。
仲介者・インタープリター
インタープリターということば。
聞いたことがある人はいるでしょうか?
以下、ウィキペディアさんより。
インタープリター(interpreter)は、自然と人との「仲介」となって自然解説を行う人物を指す単語。インタープリター (自然) - Wikipedia
海の近くでそんなことをしている。
私たちの身の回りには、たくさんの「境目」がある。
国境とか県境とか、割合はっきりしているもの。あの人と私たちとか、気持ちしだいで簡単に作れちゃうもの。波打ち際みたいに、緩やかな境界。などなど..
いろいろこじつけていったら、世の中境界だらけかも知れない。
インタープリターは、その境界をまたいでひょいひょいと行ったりきたりできないといけない。
ウィキペディアさんは「自然と人と」と言っているけど、なるべくなら多くの境界を行き来できるようになりたい、と思う。
そのためには、まず体力がないといけない。
ずっとジャンプしてる感じだから、脚力も必要そうだ。
次に、あちらとこちら、どちらとも仲良くなること。
どちらにも拒否されない。受け入れられている。そしてよく知ってる。
それから、黒子であること。
主役でいてはいけないと思う。引き合わせて上手くいくまでサポートをする。
きっと、境界を自由に行き来できるようになったら、境界線なんて気にならないんだろうな..
おすそわけ 3/6
くるま その名はパンダ
私は物心ついたときから、くるまが好きでした。
別に、父親がすごく車に凝っていたとか、近所にガレージでくるまいじりしているお兄さんがいた訳ではないけれど。
車で渋滞にはまるたび、周りの車をみて暇つぶししていました。
車の一部分の、形とか塗装をみて「あ、きっとあのくるまだな」って予想をして、走り去る後姿で車名をみて答え合わせをする。そういう一人遊び的な暇つぶしでした。(動体視力も鍛えられたかもしれない。)
工学系の大学に進み、一瞬車作りの勉強をしたけれど、あえなく挫折。
ほかのどんな分野より絵がかけなくちゃいけなかったけど、かけなかったし、その努力ができませんでした。
それでいて、課題で考えるものはたいてい20~30年前風の古臭い車でした。
挫折を経て思ったことは、私ははいち消費者で満足なんだということ。
わざわざ私が車を作らなくても、世の中には魅力的な車がたくさんあって、そういう車に乗ったり眺めたりできれば私は満足、ということです。
授業の調べ物を機に、ますます古い車ばかりに目がいくようになり、こんな車をつくりたい!という気持ちより、あと十数年もしたら乗れる状態で残っている車はぐっと減ってしまうのでは?と、よくわからない焦りは感じるようになりました。
そんな頃から約10年。
パンダという車を相棒にして暮らしています。
古いといってもクラシックカーではなく、90年代中ごろの車。
外車といってもイタリアの大衆車。
そして、カクカクしたコトコト走る車。
フィアットというイタリアの自動車メーカーが経営難に陥ったとき、ジウジアーロというデザイナーが一生懸命考えました。
コスト削減が徹底された作りで質素だけれど、その質素さまでも愛らしいという車です。
愛らしいというのは完全に私の主観であって、この車をみた人々の反応は様々。
「無骨」
「男っぽい」
「かわいい」
「南国っぽい」
「ちゃっちい」
「渋い」
「おもちゃみたい」etc...
相棒にして今年で6年目。
こちらに越してきてから相棒の感が、ぐっと強まりました。
というより、まさに「相棒」と呼ばれるだけの働きを見せてくれました。
新しい土地で知り合いがいなかった当初、人と話す機会が減りました。
しかし、パンダに乗って出かけるとスーパーの駐車場や道端、信号待ちの隣レーンから変な車だ、ということで話しかけてくれる人がたくさんいました。
人と話すのがちょっとうれしくて、パンダのことで話しかけてくれるのがまた嬉しくてもじもじにやにや応えていました。
ちなみに、ほとんどが50代以降くらいのおじさんでした。
その後知り合いになった人も、パンダに乗っている人、と覚えてくれる人がたくさんいます。
パンダを買うときにはじめて知ったことがあります。
父親が初めて買った車は、なんとパンダと同じジウジアーロデザインの車ということ!
今思えば、パンダを買うとき「イタリア車なんて壊れるんじゃないか?」とか言ってる割には、前向きだったように思います。
DNAってすごいです。
おむすび
『おむすびを食べて、死を思いとどまった人が居る。』
布団の上で、ぱらぱらと冊子をめっくていると、そんな一文に出会いました。
10年前の私だったら、まさか~!って笑っていたかも。
今は、思いとどまった人がおむすび食べてる様子が目に浮かびます。
「おむすびを握るということは、おむすびを通して握る人の心を伝えることです。その心が食べる人に伝わって、おいしく感じられるようです。」(『森のイスキア』佐藤初女さんのことば。冊子『ふくぐみ』vol.1より)
人が作ったものに感動するとき、もちろんかたちそのものや味そのものに感動するんだけれど、よくよくその感動を掘り下げてみると、その姿に至った作り手の思いとか、考えとか、気遣いとか、人となりが見えた気がしたときに感動してることが多いということ。30歳を前にやっとわかるようになってきました。
話は飛びますが、仕事もそうだと思います。
はじめて勤めた会社はメーカーでした。社内であっても「次工程はお客様」と思って仕事のバトンをつなぐよう教えられました。
たまに「仕事を投げる」「丸投げする」とかって表現を聞きますが、そういう意味ではもってのほかです。
丁寧に仕事を繋ぐことは、一見次の人のためのようで、その姿勢がちゃんと伝わると、よい仕事として自分に返ってくる。ゆくゆくは、社外のお客様のためになることも多かったと思うのです。
辞めて丸二年が経ちますが、初めて勤めた会社だったからか、尊敬できる人がたくさん居る部署だからか、サラリーマン時代に学んだことは多くて、今でもふと思い出します。
死んでしまってもいいように
立て続けに、知っている人が亡くなった。
すい臓がん、骨髄のがん、老衰。
60代、40代、100歳。
私にだっていつ訪れるかわからないから、いつ死んでしまってもいいようにしていようと思う。
すい臓がんで死んだおじさんには、ここに越してきたとき、誰も知り合いがいなくて、話し相手をしてもらった。やってみようかどうしようか、もじもじしていた私の背中を押してくれた。(と勝手に解釈して進んだ)
たまにしか会わなかったけど、すごく救われたんだった。
せめて新年の挨拶がしたかったな。
感謝を伝えたかったな。
夕方シーカヤック
カヤックの練習記録と、そのほかの記録です。
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仕事終わり、気温に負けそうになったけれど、負けない。
桟橋には釣り人。
いつか「相棒は?」と心配してくれたおじいさん。
風がある。波もある。
簡単な準備運動をして、海に出る。
太陽の高さはこぶし一個分だから、一時間くらいは大丈夫。
沖で波に揺られながらスプレースカートと戦う。
なかなか付かなくて、めげそうになる。
「もっと大回りしてー」釣り人から声がかかる。
「はーい、すいません。」
なんでため口なんだろう。また少しめげそうになる。
追い風で進む。
私のフィールドでは、波があることが少ない。
いや、凪に誘われて海に出ることが多いだけかも。
1mない波だけど、バウが引っかかったら沈するんじゃないかって思う。
気持ち後ろに体重を預ける。意味はあるのか?
練習場にしている小さな砂浜に着く。
堤防と堤防にはさまれた、小さな波打ち際。
シギとチドリが混ざって休んでいた。
陸から近づくとすぐに飛び立つのに、海からだと警戒を解いてくれるのだろうか。
波に揺られながら、リーンをしながら左右スピン。
波にあおられる。
フネを傾けることへの恐怖心がまだ大いにあることを実感する。
後ろから前へ漕ぐとき、やたらと消耗する。
暗いし波があるし、リカバリーはやめた。
風上に向かって漕ぎ始める。
気づけば、太陽は山の裏側に沈んでいた。
山の高さ分考えないといけないな。
腰の回転と足の力を意識して、漕ぎ漕ぎ。
下って着艇できるところまで漕いで、元でた砂浜へ戻る。
正味30分弱。
釣り人はまだ釣りをしていた。夜の釣りは楽しそうだな。
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北西の風 5m/s
波 0.5m~1m
気温 18度
・スピン
・ターン
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